母と子の開祖語録  9月23日

自粛中だった稽古が再開しました。折角ですので、引き続き「母と子の開祖語録とその解説」をアップします。

卓上開祖語録カレンダー(第一集)より

23日の語録

少林寺拳法がすぐれているのは、手を握り合い、技をかけあうふれあいを通じて、相互信頼を自分でつくっていく、相手にも感じさせる、ということにつきる。

さぁ、後に続いて暗唱しよう。「少林寺…通じて」ハイ、言ってみて。意味を考えながら聞くと覚えるのが速いと思うよ。「相互信頼…いく」ハイ、言ってみて。「相手にも…つきる」もう一回言ってみて。それじゃ最初の「少林寺拳法が」から言えるかどうか試してみて。言えなかったら何度ても挑戦しよう。ぜひ言えるようになって欲しい。

 少林寺拳法修練による人づくりの仕掛けの一つなんだよ。組手主体だね。中国河南省嵩山少林寺の白衣殿の壁画に、色の黒いインド僧と色の白い中国僧と思われる人たちが、手を取り合いながら楽しそうに拳法を行じている姿が描かれていた。開祖が若かりし時、二人の師と一緒にこの壁画を見た。これは闘争の技術ではない、「修行」だと直感したんだね。「行」という漢字が何を意味しているかを、開祖は我々にこう教えてくれた。君たちも何度も聞いているよね。言えるかな?……。そう、強い人が弱い人を背負い、お互いが向かい合って一緒に歩く姿だ。自分だけがうまくなるのではない。一緒に上達しようとする体験を積み重ねていくのが、少林寺拳法の修行なのだね。目の前の相手は倒すべき敵ではない。一緒に起用力してともに成し遂げようとする協力者であるということだよ。競争原理で生きる人間と協力原理で生きる人間とは、その人としての強さが全く違う。一方は恐怖心から行動する人となり、一方は貢献する喜びを感じる人になる。

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